井関越街道に沿って
成子家住宅 (国登録文化財)
波太神社 (国重要文化財)
井関越街道は、尾崎町を起点に、黒田、石田を抜け、波太神社を通り、井関峠を越えて和歌山に至る街道で、鳥羽伏見戦争のとき、多数の会津藩敗残兵が紀州藩を目指し、この街道を通り抜けた。街道沿いの家々では、戸を閉ざし、息をひそめて待つ者や、荷物をまとめて山中へ避難するものが多く、また、途中傷が悪化し、力尽きて死んだ落ち武者対し、桑畑の村民が山中に手厚く葬ったという話も残っている。
成子家住宅 (国登録文化財)
成子家は江戸時代の終りから代々酒造業を営み、尾崎村の状況が記された文化3(1805)年の古文書にみられる3軒の造り酒屋の1軒と考えられています。1916(大正5)年に建てられた主屋や離れ座敷、表門、酒蔵等の10棟の建物が2000年10月に文化財保護法による登録有形文化財に登録されました。現在では市内で唯一の造り酒屋です。
波太神社 (国重要文化財)
創建年代は不詳だが、豊臣秀吉の根来攻めの際に焼失したため、現在の社殿は寛永15(1638)年に再建されたものです。江戸時代初期の特徴が残る「三間社流れ造り」という建物様式です。
平安時代に編纂された『延喜式』にはすでに記載されていた。本殿にはこの地の豪族であった鳥取氏の祖と伝えられる角凝命を主神とする波太宮と応神天皇を祭る八幡宮が祀られいる。本殿前面に建つ拝殿は1935年頃に再建された。
三十六歌仙扁額とは、室町時代に生まれた扁額歌仙絵の一形式で、36枚の扁額それぞれに1人の歌人の肖像とその歌とが描かれている。江戸時代に流行し、神社に奉納された。元禄時代(1688〜1704年)の絵師、土佐光成の作。波太神社に、いつ、どのように伝来したかは不明。
拝殿前に建つ和泉砂岩製の石灯籠が、慶長5(1600)年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として波太神社を修復した時、且元が寄進したといわれている
鳥取池緑地桜の園
鳥取池緑地桜の園は野外活動・憩いの広場・キャンプ場として平成7年に開園された。鳥取池に隣接し周りを山々に囲まれて、春は桜が満喫でき四季折々を通じ、子供からお年寄りまで十分に自然を楽しむことができる。利用は申し込みが必要。
鳥取ダム
桑畑にある鳥取池は、灌漑用として井関川上流をせき止め建設された池で、その水は井関川、菟度川、山中川、男里川の流域の田畑で利用される。戦時中の昭和19(1944)年に着工し、昭和23(1948)年に完成していて、戦中戦後の資材不足の時に築造されたため、昭和27(1952)年の豪雨により決壊し深刻な被害をもたらした。その後、農業用ダムとして復旧工事が行なわれ、昭和33(1958)年に完成した。
紀泉高原キャンプ場
紀泉高原休養林は大阪府と和歌山県にまたがった紀泉高原にある国有林で、クロマツを主体にヒノキをまじえた人工林。林道や台地からは紀ノ川や紀淡海峡を隔てた淡路島、泉州平野や遠く六甲の山並みを望む絶好の眺望が得られ、人工の鳥取池は周囲の樹林とあわせて静かな景観をなしている。利用は申し込みが必要。
鳥取ダム
鳥取池緑地桜の園
紀泉高原キャンプ場
至井関峠